原発再稼働は電力不足の「欺瞞」と「安全の取引」か

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津波・地震リスクを軽視した「究極の無責任」

「安全」か「経済」か。地方の未来を賭けた選択は、国策とカネの論理で蹂躙された。 東京電力柏崎刈羽原発と北海道電力泊原発の再稼働容認表明は、福島事故の教訓と、能登半島地震や青森県東方沖地震が示す差し迫った巨大地震リスクを意図的に無視する、無責任な政治的決断に他なりません。特に、東電による1,000億円規模の資金拠出という露骨な「アメ」が、根強い住民の不安と民意を押し切りました。この構造は、原子力施設の危険を地元に押し付け、利益を都心部が独占する「沖縄化」そのものであり、被団協の訴える生命の尊厳にも反するものです。日本の民主主義の危機を示すこの「安全の取引」の実態を徹底検証します。

津波・地震リスクと民意を軽視した原発再稼働への「雪崩現象」

東京電力柏崎刈羽原発と北海道電力泊原発の再稼働に向けた知事の相次ぐ「容認」表明は、福島第一原発事故の痛ましい教訓、そして日本列島全体を襲う巨大地震・津波リスクへの懸念を意図的に回避した、極めて不当かつ無責任な「政治的決断」に他なりません。特に、年明けに発生した令和6年能登半島地震では、震源地ではない新潟県内でも広範囲にわたる液状化による甚大な被害が発生し、さらに直近の青森県東方沖地震では「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が初めて発表されるなど、原子力施設が立地する地域全体が、理論ではなく現実に裏打ちされた巨大災害の脅威に晒されています。日本の電力供給が逼迫していないというデータがあるにもかかわらず、「国策」と「経済的論理」が「地域の安全」や「民意」を蹂躙し始めているという、民主主義の危機を示す深刻な懸念が浮き彫りになっています。

民意を無視し、1000億円の「アメ」で強行された拙速な判断

新潟県の花角英世知事が表明した柏崎刈羽原発の再稼働容認意向は、知事自身が実施した県民意識調査の結果と真っ向から対立しています。調査では、東電への根深い不信感が浮き彫りとなり、「東電が原発を動かすことが心配だ」とする回答が約7割、「再稼働の条件は現状で整っていない」が約6割を占めました。にもかかわらず知事は判断を強行しており、これは「民意をくんだ判断」とは到底言い難いものです。知事の判断の背景には、東京電力が打ち出した1,000億円規模の資金拠出という、地元への露骨な経済的「アメ」の提示が存在します。再稼働による収支改善効果と、地元に差し出されたこの巨額の経済的利益が、県民の安心・安全という最も重要な価値と引き換えにされたと見られても仕方ありません。

これに続き、北海道の鈴木直道知事も定例道議会で泊原発3号機の再稼働に同意する考えを表明しました。泊原発3号機は原子力規制委員会の審査合格からわずか4ヵ月後という「スピード決着」であり、「熟議とは程遠い、拙速な判断」と言うほかない状況です。鈴木知事は再稼働による電気料金の値下げ効果や、次世代半導体量産を目指す「ラピダス」の道内進出に伴う電力需要増を容認の理由に挙げましたが、巨大地震の現実が示すリスクを前に、経済的なメリットが安全と引き換えにできるものではありません。

安全軽視の電力会社と倫理的に不健全な「安全の取引」

この一連の判断の最大の核心は、福島事故後も安全軽視の体質が一切変わらない電力会社に、再び巨大なリスクを委ねようとしている点にあります。柏崎刈羽原発をめぐっては、テロ対策不備で2021年に事実上の運転禁止命令を受けた経緯があるにもかかわらず、知事の表明直前にテロ対策に関する機密文書の社員による無断持ち出しという新たな不祥事が発覚しました。重大な過失を繰り返す東京電力は、原子力事業者としての「適格性」が完全に欠如していると断じざるを得ません。知事は、東電による1,000億円規模の資金拠出を受け入れながら、信頼性確保を容認の条件としつつも「現状でもなかなか回復していない」と自ら認め、この矛盾と無責任の極みが県民の不安を一層煽っています。

また、泊原発についても、北海道電力が規制委から敷地内の断層が活断層ではないことの説明の不十分さなどを指摘され、審査期間が他の原発で例のない12年におよぶなど、事業者としての能力に疑問が残ります。さらに両知事の判断の背景にある、政府による事故時の避難道路整備費の全額国費負担といった経済的「アメ」の提示は、事故発生のリスクが現実として存在することを国が暗黙のうちに承認しているにもかかわらず、その対策費の肩代わりを再稼働の「交換条件」として機能させており、「安全性の取引」という極めて不健全なメッセージを地元に送っています。

安全軽視の電力会社と倫理的な無責任

この一連の判断の最大の核心は、福島事故後も安全軽視の体質が一切変わらない電力会社に、再び巨大なリスクを委ねようとしている点にあります。柏崎刈羽原発をめぐっては、テロ対策不備で運転禁止命令を受けた経緯があるにもかかわらず、知事の表明直前に機密文書の社員による無断持ち出しという新たな不祥事が発覚しました。重大な過失を繰り返す東京電力は、原子力事業者としての「適格性」が完全に欠如していると断じざるを得ません。知事は、東電による1,000億円規模の資金拠出を事実上の受け入れながら、信頼性確保を容認の条件としつつも「現状でもなかなか回復していない」と自ら認め、この矛盾と無責任の極みが県民の不安を一層煽っています。
また、泊原発についても、北海道電力が規制委から敷地内の断層が活断層ではないことの説明の不十分さなどを指摘され、審査期間が他の原発で例のない12年におよぶなど、事業者としての能力に疑問が残ります。両知事の判断の背景にある、政府による事故時の避難道路整備費の全額国費負担といった経済的「アメ」の提示は、事故発生のリスクが現実として存在することを国が暗黙のうちに承認しているにもかかわらず、その対策費の肩代わりを再稼働の「交換条件」として機能させており、「安全性の取引」という極めて不健全なメッセージを地元に送っています。

巨大地震の現実と被団協が訴える「生命の尊厳」

立て続けに発生した能登半島地震と青森県東方沖地震は、複合災害の脅威を極めて現実的なものとしています。特に泊原発は豪雪地帯にあり、巨大地震に伴う積雪時に原発事故と地震や津波が重なる「複合災害」が起きれば、避難が困難を極めることは想像に難くありません。道などが開いた住民説明会では、避難計画の実効性を不安視する声が相次いでいますが、具体的な対策や避難計画が住民の不安を払拭できていないまま、再稼働への同意が表明されました。
再稼働が推進される最大の理由とされる「電力の安定供給」論は、日本の電力供給予備率が安定した水準で推移しており、深刻な電力不足に陥る切迫した状況は認められないため、現状のデータと矛盾しています。電力不足の不安を煽り、それを原発再稼働の口実とする政府や電力会社の論理は、「安全性の取引」を容易にするための欺瞞に過ぎません。実際、同じ地震国である台湾では福島事故後に脱原発政策が決定・推進され、2025年までに脱原発を達成しているという事実があります。これは、原子力に依存せずとも、エネルギー政策の転換は可能であることを示唆しています。
さらに、この原発推進の動きは、核兵器廃絶を訴え続けてきた被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が共有する「生命の尊厳」という根源的な視点とも鋭く対立します。核兵器の被害であれ原子力災害であれ、ひとたび制御不能な事態が起きれば、人間の生存基盤を破壊し、不可逆的な健康被害をもたらす点に変わりはありません。

 

不均衡な構造「危険リスクは地方」「恩恵は都心」と「沖縄化」の警鐘

原子力災害が発生した際、事故収束作業の最前線に立つのは、電力会社の正社員ではなく、多くが多層的な下請け構造に組み込まれた職員であり、彼らは高い放射線量による被ばくという、不可逆的な健康被害のリスクを直接負います。福島第一原発事故において、電力会社や政府が「想定外」で責任を回避しようとした一方で、実際にその事態の収束を文字通り命懸けで担ったのは現場の下請け作業員でした。
原発再稼働を「政治的決断」として推進する知事や政府の中枢は、収益改善や国策推進というメリットだけを取り込み、事故の代償とリスク、そして責任の重荷を、地元住民や下請けの作業員に一方的に押し付けます。この構造は、原子力施設の危険リスクは地方に押しつけ、首都圏や大都市圏といった都心部は安定した電力を供給されるだけという、極めて不均衡で不公正な構図を内包しています。
国全体の都合によって巨大なリスクと負担を一方的に押しつけ続ける構図は、地方自治と民主主義の根幹を脅かし、国策の論理による地方への構造的な負担の押し付け、すなわち「沖縄化」の危機を招いています。原発再稼働をめぐる議論の根底には、万が一事故が起きた際の責任と負担を、誰が負うのかという決定的に無責任な構図が横たわっており、過酷事故が発生した際、最前線には行かず、「被災者に寄り添い」といった空虚なスローガンを繰り返す政治家や政府中枢の姿は、原子力行政における根深い「安全性の取引」の核心であり、倫理的な問題です。
知事は即刻この判断を撤回し、県民・道民投票という公正な直接民主主義の手続きを経て、住民の真の意思を尊重する決断を下すべきです。国と電力会社は、危険リスクを地方に押しつけ、都心部がその恩恵を受けるという不均衡な構造を是正し、福島第一原発の廃炉と地元復興という果たされていない「最大の責務」を最後まで遂行すべきです。

この原発再稼働をめぐる「雪崩現象」は、単なるエネルギー政策の問題ではありません。これは、国策の論理が地方の生命と自治を蝕む、日本の構造的な差別と不正義を象徴しているという、重大な警鐘なのです。

真相はこれだ!関生事件 無罪判決!【竹信三恵子の信じられないホントの話】20250411【デモクラシータイムス】

ご存じですか、「関西生コン」事件。3月には、組合の委員長に対して懲役10年の求刑がされていた事件で京都地裁で完全無罪判決が出ました。無罪判決を獲得した湯川委員長と弁護人をお呼びして、竹信三恵子が事件の真相と2018年からの一連の組合弾圧事件の背景を深堀します。 今でも、「関西生コン事件」は、先鋭な、あるいは乱暴な労働組合が強面の不法な交渉をして逮捕された事件、と思っておられる方も多いようです。しかしそうではありません。企業横断的な「産別組合」が憲法上の労働基本権を行使しただけで、正当な交渉や職場環境の改善運動だったから、強要や恐喝など刑事事件には当たらないものでした。裁判所の判断もこの点を明確にしています。では、なぜ暴力的組合の非行であるかのように喧伝され、関西全域の警察と検察が組織的に刑事事件化することになったのか、その大きな背景にも興味は尽きません。 tansaのサイトに組合員お一人お一人のインタビューも連載されています。ぜひ、どんな顔をもった、どんな人生を歩んできた人たちが、濡れ衣を着せられ逮捕勾留されて裁判の法廷に引き出されたのかも知っていただきたいと思います。
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増補版 賃金破壊――労働運動を「犯罪」にする国

竹信三恵子 (著) 旬報社 – 2025/1/30

勝利判決が続く一方で新たな弾圧も――
朝⽇新聞、東京新聞に書評が載り話題となった書籍の増補版!関生事件のその後について「補章」を加筆。
1997年以降、賃金が下がり続けている先進国は日本だけだ。そんな中、関西生コン労組は、労組の活動を通じて、賃上げも、残業規制も、シングルマザーの経済的自立という「女性活躍」も、実現した。そこへヘイト集団が妨害を加え、そして警察が弾圧に乗り出した。
なぜいま、憲法や労働組合法を無視した組合潰しが行なわれているのか。迫真のルポでその真実を明らかにする。初版は2021年。本書はその後を加筆した増補版である。
◆主な目次
  はじめに――増補にあたって
  プロローグ
  第1章 「賃金が上がらない国」の底で
  第2章 労働運動が「犯罪」になった日
  第3章 ヘイトの次に警察が来た
  第4章 労働分野の解釈改憲
  第5章 経営側は何を恐れたのか
  第6章 影の主役としてのメディア
  第7章 労働者が国を訴えた日
  エピローグ
  補章 反攻の始まり
  増補版おわりに

映画 ここから 「関西生コン事件」と私たち
この映画は「フツーの仕事がしたい」「アリ地獄天国」など労働問題を取り上げ注目を浴びている土屋トカチ監督の最新作。「関西生コン事件」の渦中にある組合員たちの姿を描いた待望のドキュメンタリー映画『ここから「関西生コン事件」と私たち』がこのほど完成。業界・警察・検察が一体となった空前の労働組合潰しに直面した組合員と家族の物語を見つめた。(左写真は松尾聖子さん)いまも各地で上映会がひらかれている。
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