「本土の平穏」は誰の犠牲の上に立つのか(前編)く
戦後の日本における米軍基地問題の変遷は、本土における激しい抵抗運動の「成功」と、その裏返しとしての沖縄への「重圧の転嫁」という、極めて歪な歴史的構造の上に成り立っています。なぜ沖縄に基地が集中したのか。その理由は、単なる地理的条件によるものではありません。日米両政府が交わした緻密な政治交渉、司法への不当な介入、そして不平等条約の固定化という、3層の構造的差別がもたらした必然の結果でした。
無意識の差別を解体する
本土を揺るがした抵抗の原点
⚫主権回復下の「土地と平和」を守る闘い
1952年のサンフランシスコ平和条約発効直後、主権を回復したはずの日本全土で、米軍基地に対する怒りが爆発しました。その象徴となったのが、石川県の内灘(うちなだ)闘争です。
当時、朝鮮戦争の真っ最中だった米軍は、日本で作らせた砲弾の性能を試す場所を求めていました。そこで白羽の矢が立ったのが、広大な砂丘が広がる内灘村(現在の内灘町)でした。政府は突如、内灘砂丘を米軍の試射場として接収することを決定しましたが、これに驚いた住民たちは猛烈に反発します。
住民たちは、一時的な補償金よりも先祖伝来の土地と暮らしの継続を重んじ、「金は一年、土地は万年」を合言葉に団結しました。「海は我々の生命線だ」と訴え、着弾地での命がけの座り込みを敢行。この運動は、戦後初めて「地域住民の生活権」と「反戦平和」が結びついた巨大なうねりとなり、当時の吉田茂政権を大きく揺るがしました。
⚫流血の衝突と安保体制への衝撃
続いて1955年に発生した東京都の砂川闘争は、さらに決定的な影響をおよぼしました。これは、内灘闘争の流れを汲みつつも、それを遥かに凌駕する規模で展開された戦後最大級の基地反対運動です。
当時、米軍のジェット機が大型化したことで、立川基地の滑走路を延ばす必要が出てきました。政府は砂川町の農地などを強制的に測量して接収しようとしましたが、先祖代々の土地を守りたい農民たちが猛烈に反対しました。砂川の農民たちは「土地に杭は打てても、心に杭は打てない」という言葉を旗印に、文字通り人間の鎖で測量を阻止しました。
1956年10月の「第二次強制測量」では、警官隊と1000人を超える反対派が激突し、負傷者は1300人を超えました。この凄惨な流血の事態は、日本の世論を猛烈な反米・反基地感情へと向かわせ、日米安保体制そのものを崩壊させかねない危機として日米両政府に認識されることとなったのです。
公文書が明かす「沖縄転嫁」の政治工作
この本土の混乱に対し、米国政府は極めて冷徹な判断を下しました。当時の公文書(駐日大使から国務省への電報等)には、本土での基地維持がもはや「政治的コストに見合わない」とする記述が目立つようになります。1957年、当時のダグラス・マッカーサー2世駐日大使は、「日本の保守政権を守り、日本を西側陣営に留めておくためには、本土の米軍基地を大幅に削減する必要がある」と本国に訴えました。
これを受けて国防総省内で検討されたのが、本土駐留の米海兵隊第3師団の沖縄移駐でした。当時の内部文書によれば、海兵隊を沖縄に移す軍事的なメリットは乏しく、むしろ訓練効率は下がると分析されていました。しかし、公文書はそれ以上に、沖縄は米国の完全な施政権下にあり、日本の国内法や反対運動、労働紛争の制約を一切受けないという「政治的自由度」を決定打として挙げています。つまり、日本国憲法の及ばない沖縄を「軍事的な植民地」として利用することで、本土の民意をなだめるという、身勝手なバーター取引が行われたのです。
歪められた司法と暴力的な土地強奪
⚫戦後民主主義を揺るがした司法の挑戦
砂川闘争は、現場での激しい衝突を経て司法の場へと移り、日本の民主主義の根幹を揺るがす重大な事態を引き起こしました。1959年、東京地裁の伊達秋雄裁判長は、日本に駐留する米軍を「憲法9条が禁じる戦力の保持にあたり、違憲である」と断じる画期的な「伊達判決」を下しました。この判決は、主権回復後の日本において憲法の平和主義を厳格に解釈したものであり、時の政府とアメリカ側に巨大な衝撃を与えました。
⚫闇に葬られた憲法判断
しかし、近年公開されたアメリカ側の外交公文書により、この歴史的判決を覆すために驚くべき裏工作が行われていたことが発覚しました。当時の田中耕太郎最高裁長官が、判決直後からアメリカ大使館側と極秘裏に密通し、上級審での判決の見通しを漏らしていた「田中メモ(田中公文書)」の存在です。
そこには、田中長官が「一審判決は間違いである」と米側に断言し、最高裁では全員一致で、しかも早期に結論を出すよう自ら主導する旨を伝えていた実態が記されていました。この密約が裏付けられたかのように、最高裁は異例の速さで一審判決を破棄しました。その際、最高裁が持ち出した論理が「統治行為論」です。これは、日米安保条約のような高度に政治的な問題については、司法がその合憲性を判断すべきではないとする考え方でした。この判決によって、司法自らが基地問題に対する違憲審査の道を事実上閉ざしてしまい、現在に至るまで「砂川事件の最高裁判決」は、基地問題をめぐる裁判で政府側を支える強力な法的障壁として機能し続けています。
⚫銃剣とブルドーザーによる基地の固定化
一方で、この司法工作によって本土の安保体制が維持される裏側で、米軍政下の沖縄では、1953年から55年にかけて「銃剣とブルドーザー」による強引な土地接収が行われました。本土が政治交渉や司法の「統治行為論」によって基地問題への直接的な批判を回避し、徐々に基地を縮小させていったのに対し、沖縄は武力による略奪的な土地接収によって基地が恒久化・固定化されていったのです。
⚫偽りの返還と現代に続く「0.6%対70%」の不条理
この「本土と沖縄」の非対称な構造は、1972年の返還時にも繰り返されました。国民に示された「核抜き・本土並み」という公約の裏側では、有事の際の核再持ち込みを認める「密約」が交わされ、沖縄への軍事機能の集約が維持されました。
現在、国土面積の約0.6%しかない沖縄に、在日米軍専用施設の約70%が集中しているのは、この歴史的な「しわ寄せ」の結果に他なりません。砂川における「司法の敗北」と、沖縄における「武力による略奪」は、日米安保体制を維持するために払われた犠牲の表裏一体の姿であり、現在の沖縄が抱える重い負担は、この構造的な不平等が今なお解消されずに積み重なった結果なのです。
分断された本土と沖縄のデモクラシー
ここで忘れてはならないのは、沖縄の人々が抱く根源的な不条理感です。沖縄に基地が「転嫁」された当時、沖縄はサンフランシスコ平和条約によって日本から切り離され、米軍軍政下という「主権なき空白地帯」に置かれていました。
本土が主権を回復し、デモクラシーの権利を謳歌しながら、内灘や砂川のように激しい反対運動を通じて基地を拒絶していたその裏で、沖縄は自らの意思を表明する法的な術すら持たないまま、基地を押し付けられたのです。
歴史的非対称性の黙殺と「二重の押し付け」という暴挙
この歴史的非対称性を直視せず、主権回復後の今になって「日米同盟の抑止力」という大義名分だけで現状を正当化することは、沖縄の人々からすれば、かつての「押し付け」を二重に肯定されるに等しい暴挙と映るはずです。
現在、辺野古移設や基地負担のあり方を巡って語られる「抑止力」の議論は、1950年代に沖縄が置かれていた「主権の欠如」という歴史的背景を捨象して成立しています。沖縄にのみ過重な負担を強いてきたこの不平等な構造を見過ごしたままでは、真の意味での「主権回復」は、沖縄にとって依然として未完のままなのです。【次回へ続く…】
続く後編では、現代の政治家・高市早苗氏が掲げる安全保障政策と沖縄の民意がいかに決定的に矛盾しているかを浮き彫りにします。そして、地方自治の危機を乗り越え、真のデモクラシーを再生するための道筋を探ります。
真相はこれだ!関生事件 無罪判決!【竹信三恵子の信じられないホントの話】20250411【デモクラシータイムス】
ご存じですか、「関西生コン」事件。3月には、組合の委員長に対して懲役10年の求刑がされていた事件で京都地裁で完全無罪判決が出ました。無罪判決を獲得した湯川委員長と弁護人をお呼びして、竹信三恵子が事件の真相と2018年からの一連の組合弾圧事件の背景を深堀します。 今でも、「関西生コン事件」は、先鋭な、あるいは乱暴な労働組合が強面の不法な交渉をして逮捕された事件、と思っておられる方も多いようです。しかしそうではありません。企業横断的な「産別組合」が憲法上の労働基本権を行使しただけで、正当な交渉や職場環境の改善運動だったから、強要や恐喝など刑事事件には当たらないものでした。裁判所の判断もこの点を明確にしています。では、なぜ暴力的組合の非行であるかのように喧伝され、関西全域の警察と検察が組織的に刑事事件化することになったのか、その大きな背景にも興味は尽きません。 tansaのサイトに組合員お一人お一人のインタビューも連載されています。ぜひ、どんな顔をもった、どんな人生を歩んできた人たちが、濡れ衣を着せられ逮捕勾留されて裁判の法廷に引き出されたのかも知っていただきたいと思います。
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増補版 賃金破壊――労働運動を「犯罪」にする国
勝利判決が続く一方で新たな弾圧も――
朝⽇新聞、東京新聞に書評が載り話題となった書籍の増補版!関生事件のその後について「補章」を加筆。
1997年以降、賃金が下がり続けている先進国は日本だけだ。そんな中、関西生コン労組は、労組の活動を通じて、賃上げも、残業規制も、シングルマザーの経済的自立という「女性活躍」も、実現した。そこへヘイト集団が妨害を加え、そして警察が弾圧に乗り出した。
なぜいま、憲法や労働組合法を無視した組合潰しが行なわれているのか。迫真のルポでその真実を明らかにする。初版は2021年。本書はその後を加筆した増補版である。
◆主な目次
はじめに――増補にあたって
プロローグ
第1章 「賃金が上がらない国」の底で
第2章 労働運動が「犯罪」になった日
第3章 ヘイトの次に警察が来た
第4章 労働分野の解釈改憲
第5章 経営側は何を恐れたのか
第6章 影の主役としてのメディア
第7章 労働者が国を訴えた日
エピローグ
補章 反攻の始まり
増補版おわりに
映画 ここから 「関西生コン事件」と私たちこの映画は「フツーの仕事がしたい」「アリ地獄天国」など労働問題を取り上げ注目を浴びている土屋トカチ監督の最新作。「関西生コン事件」の渦中にある組合員たちの姿を描いた待望のドキュメンタリー映画『ここから「関西生コン事件」と私たち』がこのほど完成。業界・警察・検察が一体となった空前の労働組合潰しに直面した組合員と家族の物語を見つめた。(左写真は松尾聖子さん)いまも各地で上映会がひらかれている。
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