関生支部の闘いとユニオン運動・第8回 「労働運動の歴史における関西地区生コン支部の位置-産業別労働組合の定着」

木下武男(労働社会学者・元昭和女子大学教授)

…第7回からのつづき

「生コン産業の全国的な産業別組合の確立前夜」

前回連載で、関生支部が「箱根の山」を越え、関東の主戦場に現れたことを述べましたが、それは支部の影響のいわば平面的な広がりでした。
ところが、さらに業種別部会の全国トップへの作用という形での影響もありました。1973年の集団交渉の実現にいたる支部の前進が、全国的にも注目され出したということです。1972年には関東の生コン労働者の交流集会に武建一書記長が呼ばれ、関西の労働条件が知られるようになりました。
さらに、運輸一般への移行に伴って、1977年に「全国セメント生コン部会」が確立します。情報交換組織から、「全国司令部」をもつ業種別部会へと発展したのです。「部会の合い言葉は、関西で確立した賃金・労働条件を全国へ」でした。そして部会の中央執行委員に武書記長を選出します。
部会の最初の指導は北海道での争議でしたが、全国での連帯スト体制を組み、勝利します。
鶴菱闘争も全国指導によるものでした。関生支部から東京へ専従オルグも派遣されます。こうして全国的な産業別労働組合が日本に登場しつつあったのです。

「日本労働運動における歴史的な意味」

産業別組合の日本における登場は、歴史的な意味をもっていました。今日、日本の労働組合といえば、ほとんどすべてが企業別労働組合です。ですが、はじめからそうだったのではありません。日本でも「本当の労働組合」をつくる試みはありました。資本主義のなかで確立した労働組合のその種を日本にもってきて蒔き、育てる努力がなされたのです。
1897(明治30)年、高野房太郎を中心にして「労働組合期成会」が設立されました。高野はアメリカ留学中に、職業別組合の全国組織・AFLのオルガナイザーの資格を得て、帰国したのです。労働組合期成会は、職業別組合を日本に移植する試みでした。
期成会の支援のもと、約5400人の機械工による鉄工組合や1000人の鉄道職種の日鉄矯正会、2000人を擁する活版工組合などが結成されました。しかし、この時期はすでに職業別組合の技術的基盤が崩れつつある局面でした。
また、1900年に治安警察法や1910年の大逆事件の影響もあり、職業別組合の形成運動は衰退します。
その後、1912年に設立された友愛会は、1919年に労働総同盟へと成長し、産業別労働組合への指向を明確にします。戦前記に日本で産業別組合を確立できるかの時期だったのです。
その頂点が、1921年の神戸における川崎造船所・三菱神戸造船所の争議でした。しかしこの大争議に労働側は敗北し、産業別組合を形成する運動は衰退しました。
戦後は産業別組合の組織形態を選択する機会はあったのですが、大勢は企業別組合の道を選んでしまいました。そのなかで産業別組合を確立する試みもあり、その典型的な運動は、日産・トヨタ・いすゞなどを擁する自動車産業の全自動車(全自)でした。産業別闘争を追求し、職種別熟練度別の賃金体系を掲げましたが、結局、1953年の日産争議に敗北し、全自も解散を余儀なくされました。
そして、1965年に確立した関西地区生コン支部は、1970年代の日本に、一般組合を形成する運動のなかで成長し、幾多の試練を経て今日、日本で数少ない産業別組合として存続し続けているのです。
この事実は、日本の労働運動の歴史を振り返るならば、「本当の労働組合」を確立する4回目の挑戦で、今度は勝利したことを意味します。

「排他的な労働組合を打破する産業別労働組合」

関生支部がどんなに小さくても、産業別組合を日本で存続させ続けているのは、一種の「灯台」のようなものなのです。
企業別組合は自分のところの従業員、正社員だけを組合員とします。組合運動は企業内でしか通じない賃上げです。
企業別組合の組織の排他的な性格は、時代は違いますが、職業別組合と同じです。職業別組合は、資本主義のもとで労働組合を確立した先進的な組合でしたが、組織は閉鎖的でした。徒弟制の下での親方の熟練労働者しか組合員になれませんでした。組合運動は親方たちだけの賃上げや仲間内での共済活動でした。
これを打破していったのが産業別組合です。イギリスでもアメリカでも産業別組合が閉鎖性を克服していったのです。
企業別組合は、組織の性格が職業別組合と同じように閉鎖的で保守的であるとするならば、逆に関西生コン支部は産業別組合であるがために、日本のなかで企業別組合を克服していく大きな役割を担っているのです。そのイメージは大げさに言うと掲げた図のようです。
図は、1905年に結成され、弾圧によって衰退したIWWのイメージで、100年以上も前のものです。職業別組合から産業別組合への転換の担い手としての自分たちの役割を誇示しています。一番下に「職業別組合主義」と「資本主義」と書かれ、そのなかで泥沼に沈む労働者たちがいます。そして上には「産業民主主義」と書かれ、産業別労働組合の「IWW」が導きの星のように描かれています。泥沼からはい上がり、IWWに向かう労働者たちです。指導者のような人物がもつ書物には「科学」と書かれ、「経済発展」の文字があります。これらに支えられ、産業別組合の道は必然であることを表しているのでしょう。
これを日本に当てはめ、「職業別組合主義」を「企業別労働組合主義」に置き換え、産業別組合を対置するのが日本の労働運動の再生の課題なのです。
関生支部をIWWに見立てるのはオーバーになりますが、これから産業別業種別に結集する労働者の塊がIWWのような「導きの星」になるのでしょう。日本の労働運動の歴史に登場した関生支部は、これからの労働運動を切り開く役割をも担っているのです。問題は生コン業界や、まして関西に限定させてはならない、孤立させてはならないということです。

「労働組合つぶしの大弾圧を許さない実行委員会」への賛同の呼びかけ 

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なぜ、いま戦後最大規模の刑事弾圧が労働組合に加えられているのか!?
641日勾留された武委員長が語る

「関西生コン事件」で逮捕された武建一委員長は今年5月29日、641日ぶりに保釈された。その1ヵ月後に収録されたロングインタビューをまとめた本が12月10日発刊される。
・一連の事件は、なぜ起きたのか?
・関生支部とはどのような労働組合なのか?
・武建一という人物はいったい何者なのか?
そんな疑問に事実をもって答える1冊。ぜひ、お読みください。『武建一が語る 大資本はなぜ私たちを恐れるのか
発行・旬報社、四六判218ページ、定価1500円+税
*全日建(全日本建設運輸連帯労働組合)にお申し込みいただければ頒価1500円(送料込み)でお届けします。多部数の場合はお問い合わせください。
お問い合わせ03-5820-0868
【目 次】
第1章 刑事弾圧
641日にもおよんだ勾留生活/なぜ私は逮捕されたのか/協同組合の変質/労組破壊に参加したレイシスト
第2章 「タコ部屋」の過酷労働
私の生い立ち/「練り屋」と呼ばれて/労働運動に目覚める/関生支部の誕生/初めての解雇
第3章 闘いの軌跡
万博不況とオイルショック/ヤクザと生コン/経済界が恐れる産業別労働運動
第4章 大同団結
安値乱売で「がけっぷち」/大阪広域協組の誕生/シャブコン/2005年の弾圧事件/ゼネスト決行/目指すべき場所
解題・安田浩一(ジャーナリスト)
「労働組合は賃上げ要求だけしていればよい」といった声が聞こえてきます。しかし、一部の企業が賃上げを果たしても、業界全体が潤わなければ、生コン産業の未来はありません。
そのために私たちは産業別労組という枠組みで、常に広い視野を持って闘っているのです。誰かを犠牲にすることで生存が許される社会などごめんです。労働者も、中小企業もともに発展していきたい。生き続けたい。生コン業界で働くすべての人が、人間らしく生きることのできる社会、希望を持つことのできる社会、それこそが私たちの到達目標です。(本文より)
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