過去、大阪兵庫の生コン業界は、度々労使関係を断絶させ混乱を招いてきた。
セメントとゼネコンの2つ資本によって挟撃されている生コン業界。資本からの相次ぐ要求で価格、取引条件が下落し瀕死の状況が続く。
関生支部は、不況の原因をつくった大資本の責任を追及。中小企業が価格競争するのではなく協同組合へ結集し、共同受注と共同販売、シェア運営で団結していく産業政策を提起し再建を実現させていく。その際、労使で労働者雇用・福祉基金の確立を約束した。それは業界安定への約束であった。
建交労関西支部と交通労連生コン産業労働組合の敵前逃亡は利権確保=労働者雇用・福祉基金欲しさの策動である。
建交労関西支部と交通労連生コン産業労働組合の敵前逃亡。それは利権確保のための策動であった
建交労関西支部と交通労連生コン産業労働組合の敵前逃亡、すなわち近畿生コン関連協議会の設立には目的があります。それは利権、金銭という利権の獲得です。
大阪広域生コンクリート協同組合(大阪広域協組)及びその下部団体と称されている関西建設オーナー会は、唐突に環境整備基金を昨年11月末でストップしました。それが、建交労関西支部と交通労連生コン産業労働組合の同年12月27日の関西生コン関連労組連合会(労組連合会)離脱につながっていきます。
この環境整備基金については、2015年の大阪広域協組と阪神地区生コン協同組合、大阪レディミクストコンクリート協同組合との大同団結など同年からスタートした業界再建への協力への報いとしての雇用福祉基金確立という趣旨と1994年の約束、つまり、1994年の大阪広域協組設立時に生コンクリートの出荷、1㎥あたり30円の雇用・雇用福祉基金の拠出をすること、そして、原価割れ販売を余儀なくされていた生コンクリート価格の値戻しが実現すれば、それを増額し、生コンクリートの出荷、1㎥あたり100円の拠出するという約束(本約束は不履行状態が続いていた)と1980年に約束したものの不履行となっていた関西生コン労働者福祉雇用基金制度の確立など、二度わたる大阪兵庫の生コン業界が約束するも不履行していた雇用福祉基金拠出を実行するという意味合いも含まれていました。
建交労関西支部はその基金欲しさに関生支部に近づき労組連合会結成に参加、そして相手側がストップすると交通労連生コン産業労働組合ともに労組連合会を離脱していくのでした。
労働者雇用・福祉基金は業界安定への約束。労使関係断絶は、業界業界混乱への道
1976年2月、過剰設備と深刻な需要ダウンによって生コン業界は構造不況に陥り、多くの中小企業が倒産の危機に直面していました。
セメントとゼネコンの2つ資本によって挟撃されている生コン業界は、生コン価格の切り下げ、ゼネコンへの過剰サービスの実施など、資本からの相次ぐ要求で瀕死の状況でした。そういう時期に関生支部は、不況の原因をつくった大資本の責任を追及することを柱に据え、中小企業が大資本の手先となって同業者同士、価格競争するのではなく協同組合へ結集し、共同受注と共同販売、シェア運営(需要のシェアリング)など協組機能を充実させ団結していくという産業政策を提起。同年の春闘では産業政策の要求とあわせて労働者の福祉政策のための「関西生コン労働者福祉雇用基金制度」確立の要求を実現しました。その内容は以下のとおりです。
②その基金については、企業破倒産、閉鎖・縮小によって労働債権支払が不可能になった場合、失業労働者への保障などにあてる。
③厚生施設建設への資金援助。
④中小企業が銀行融資をうける際の担保能力をつけさせる。
その他にも企業倒産に関する協定として、失業労働者を優先雇用する制度をつくることを実現しました。(その後、大阪兵庫生コンクリート工業組合との交渉で日雇及び正社員労働者も含めて連帯雇用責任を同工業組合が負うというかたちに発展)
その後、1982年までに賃金と労働条件の統一化がすすむのと同時に政策要求が前進。大阪兵庫生コンクリート工業組合が交渉当事者として労働組合と集団的労使関係を結び、労働者福祉としての100億円構想の実現と32項目協定がつくられていきました。そういった労使関係安定の過程で、瀕死だった大阪兵庫の生コン業界は大きく立ち直り、安定していくのでした。
しかし、それは長く続きませんでした。1982年、セメントメーカーをはじめとする財界や国家権力、日本共産党などによる合作の大弾圧が関生支部へ仕掛けられていきます。当時、日本経営者団体連盟(日経連)の大槻文平会長は、「関生型労働運動は、資本主義の根幹に触れる運動だ」と産別運動敵視の大号令をかけ、以後、警察権力などは些細なことでも刑事事件としてでっち上げて大量の幹部を不当に逮捕。労使協約やそれまでの労使慣行などを無視して大弾圧を加えてきたのです。大阪兵庫の生コン業界の集団的労使関係は破壊され、生コン業界は「暗い10年」という10年間続く過当競争の混乱期に突入してしまうのでした。