国家の「欺瞞」が現場の「非道」を招く

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奪われる生存権と損なわれる尊厳

2025年6月、最高裁判所は2013年からの生活保護費減額を「違法」と断じ、国家による生存権侵害を明確に認定した。しかし、判決後の政府の対応は、司法の判断を骨抜きにする「欺瞞」に満ちている。この国家による不誠実な姿勢こそが、地方自治体の現場において、受給者の尊厳を平然と踏みにじる異常な事態を誘発しているのではないか。

国家による「生存権」の格下げと法治主義の崩壊

最高裁が厳しく批判したのは、時の政権が「生活保護費の1割カット」という政治的な選挙公約を果たすために、客観的なデータや専門的な知見を無視して給付額を削った点である。これは、憲法25条が保障する生存権を、国民が当然に持つ「不可侵の権利」ではなく、時の政権が予算や人気の都合で自由に操作できる「恩恵」や「手当」の程度にまで格下げしてしまったことを意味する。国家が自ら定めた最高法規である憲法を軽んじ、恣意的な政治判断を優先させたこの行為は、法治国家としての根幹を揺るがす深刻な暴挙であった。
さらに重大なのは、司法から「違法」と断罪された後の政府の振る舞いである。国は、判決で否定されたはずの減額措置を真摯に撤回するのではなく、別の計算方法を持ち出して補償額から差し引こうとする、極めて不誠実な対応を取っている。このような「後出しジャンケン」のような手法で補償額を値切ろうとする姿勢は、司法の判断を形骸化させるだけでなく、国家が国民に対して「負けは認めるが、実利は渡さない」という極めて姑息なメッセージを発していることに他ならない。

徳島市・期限切れ食品配布問題が露呈させた行政の傲慢

行政の末端である自治体の窓口において、生活困窮者の尊厳を著しく損なう事態が相次いでいる。その象徴的な事例が、徳島市で発覚した賞味期限切れ備蓄食品の配布問題である。市は生活費が底を突いた相談者に対し、最長で1年2ヵ月も期限が切れた食品を与え、その受領条件として極めて不適切な「同意書」に署名を強制していた。この同意書は、困窮者を「支援の対象」ではなく「支配・管理の対象」として見下す、行政の傲慢な姿勢を浮き彫りにしている。

支援を「支配」へと変質させる三つの歪んだ論理

その内容は、主に三つの歪んだ論理で構成されていた。
第一に、健康被害の責任を困窮者に転嫁する姿勢である。書面には、期限切れを承知の上で受け取り、体調が悪化しても一切市を責めないという免責事項が記されていた。安全であるべき公的支援において、行政がその責任を放棄し、生存の危機にある弱者にリスクを押し付ける非人道的な要求であった。
第二に、困窮の原因を個人の資質と決めつける懲罰的な生活指導である。「今後は適切な金銭管理の徹底に努める」という一文は、公衆の前で反省を強いる屈辱的な説教に他ならない。
第三に、将来にわたる生存権の行使を心理的に封じ込める支援打ち切りの宣告である。「支給は今回限り」と署名させることで、さらなる助けを求めにくくさせる障壁を築いていた。

現場に毒を浸透させる「構造的な政治の罪」

これらの行為は、決して個別の職員の知識不足から生じたものではない。
背景にあるのは、国が受給者の権利を削り、命を値切るような姿勢を示し続けることで、現場に「これくらい不当に扱っても許される」という負の免罪符が与えられている構造的な問題である。徳島市の事例や、桐生市での保護費分割支給問題の根底には、国が管理・指導するためなら、法的根拠のない制限や人権侵害も正当化されるという「支配の論理」が毒のように浸透している。行政が注ぐべきエネルギーは、受給者を追い詰め、監視するための知恵を絞ることではない。本来その労力は、受給者が抱える孤独を解消し、再び社会との繋がりを取り戻すための「真の自立支援」に向けられるべきである。行政が優先すべきは、国民を支配するための冷徹な管理術ではなく、共に歩むための誠実さと尊厳への敬意であるはずだ。

司法の軽視が招く現場の荒廃

なぜ、これほどまでに利用者の尊厳を損なう手法が繰り返されるのか。それは、トップである国が「生存権」を、国民が当然に持つ権利としてではなく、国家の慈悲や予算の都合で増減できる「恩恵」程度にしか考えていないからに他ならない。国が最高裁の判決を真摯に受け止め、全額補償という形で「生存権の不可侵性」を身をもって示していれば、現場の職員が利用者に期限切れのパンを配り、反省文のような同意書を書かせるような真似はできなかったはずである。

今、この国に突きつけられている根源的な問い

生活保護は、誰にでも訪れうる困難に対する「最後の砦」である。しかし今、その砦は内側から崩れようとしている。政府は今すぐ、司法の判断を歪める「紛争の蒸し返し」を止め、違法な引き下げによる被害の全面的な回復に踏み切るべきだ。司法の断罪を無視し、国民の命を値切り続ける国家の姿勢が変わらない限り、自治体の窓口から「水際作戦」や「尊厳の剥奪」という名の暴力が消え去ることはない。

今、我々に突きつけられているのは、単なる制度運用の是非ではない。この国が憲法に則り、一人ひとりの「個人の尊厳」を何よりも重んじる法治国家であり続けるのか、それとも弱者を単なる管理の対象として切り捨てる冷徹な統治機構へと成り下がるのか。まさに国家としての品格、そして存立の是非が問われる重大な岐路に立たされている。国民の生存権を政治の具とする暴挙を許すか否か。国家の誠実さが完全に失われようとしている今、私たちはその真価を厳しく審判しなければならない。

真相はこれだ!関生事件 無罪判決!【竹信三恵子の信じられないホントの話】20250411【デモクラシータイムス】

ご存じですか、「関西生コン」事件。3月には、組合の委員長に対して懲役10年の求刑がされていた事件で京都地裁で完全無罪判決が出ました。無罪判決を獲得した湯川委員長と弁護人をお呼びして、竹信三恵子が事件の真相と2018年からの一連の組合弾圧事件の背景を深堀します。 今でも、「関西生コン事件」は、先鋭な、あるいは乱暴な労働組合が強面の不法な交渉をして逮捕された事件、と思っておられる方も多いようです。しかしそうではありません。企業横断的な「産別組合」が憲法上の労働基本権を行使しただけで、正当な交渉や職場環境の改善運動だったから、強要や恐喝など刑事事件には当たらないものでした。裁判所の判断もこの点を明確にしています。では、なぜ暴力的組合の非行であるかのように喧伝され、関西全域の警察と検察が組織的に刑事事件化することになったのか、その大きな背景にも興味は尽きません。 tansaのサイトに組合員お一人お一人のインタビューも連載されています。ぜひ、どんな顔をもった、どんな人生を歩んできた人たちが、濡れ衣を着せられ逮捕勾留されて裁判の法廷に引き出されたのかも知っていただきたいと思います。
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増補版 賃金破壊――労働運動を「犯罪」にする国

竹信三恵子 (著) 旬報社 – 2025/1/30

勝利判決が続く一方で新たな弾圧も――
朝⽇新聞、東京新聞に書評が載り話題となった書籍の増補版!関生事件のその後について「補章」を加筆。
1997年以降、賃金が下がり続けている先進国は日本だけだ。そんな中、関西生コン労組は、労組の活動を通じて、賃上げも、残業規制も、シングルマザーの経済的自立という「女性活躍」も、実現した。そこへヘイト集団が妨害を加え、そして警察が弾圧に乗り出した。
なぜいま、憲法や労働組合法を無視した組合潰しが行なわれているのか。迫真のルポでその真実を明らかにする。初版は2021年。本書はその後を加筆した増補版である。
◆主な目次
  はじめに――増補にあたって
  プロローグ
  第1章 「賃金が上がらない国」の底で
  第2章 労働運動が「犯罪」になった日
  第3章 ヘイトの次に警察が来た
  第4章 労働分野の解釈改憲
  第5章 経営側は何を恐れたのか
  第6章 影の主役としてのメディア
  第7章 労働者が国を訴えた日
  エピローグ
  補章 反攻の始まり
  増補版おわりに

映画 ここから 「関西生コン事件」と私たち
この映画は「フツーの仕事がしたい」「アリ地獄天国」など労働問題を取り上げ注目を浴びている土屋トカチ監督の最新作。「関西生コン事件」の渦中にある組合員たちの姿を描いた待望のドキュメンタリー映画『ここから「関西生コン事件」と私たち』がこのほど完成。業界・警察・検察が一体となった空前の労働組合潰しに直面した組合員と家族の物語を見つめた。(左写真は松尾聖子さん)いまも各地で上映会がひらかれている。
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