12.17関生支部から学ぶ学習講演集会(No.3)
「関生支部のような労働組合を創っていくことが大切だ!」

木下武男(労働社会学者・元昭和女子大学教授)

2020年12月17日、東京都内で関西生コン弾圧を許さない東京の会主催で「関生支部から学ぶ」学習講演会が開催されました。木下武男さんが講演し、活発な意見交流の場となりました。

前回からのつづき…

「2.『関生スタイル』『関生魂』」

この点では、武委員長と意気投合したところです。産業別統一闘争というのは、まずは組合つぶしや組合員攻撃を「統一指導部の動員のもとで大衆行動で粉砕してく」闘いです。これは武委員長も「座談会」で強調していますので繰り返しませんが、一人でも組合員がいれば、何百人動員してでもその組合員を守り通すのです。関生が、やがて関西の生コン労働者の中で、もの凄い力になっていった核心です。「一人でも助ける」ということです。
これができたのは業種別の単一組織だからです。同じ支部の組合員で同じ仕事をしている労働者が、ひどい仕打ちを受けている仲間を助けに行く。そういう行動の積み重ねのなかから産業別連帯の精神ができたいったのです。「この産業別統一闘争の中で生まれた連帯の精神が『関生魂』」だと思います。産業別組合を創ることは、この連帯の精神を築き上げることと同じことなのです。
そこまでいかなくても、いま労働者はバラバラで、孤立して生きています。良い悪いは別として、これまであった会社の社員同士の強い結びつきは希薄になっています。それなら、これから労働者はどこに仲間を求めるのでしょうか。そこに手を差し伸べるのが「同職の絆」です。なぜ同じ職種なのかというと、同じ労働をしているからです。同じ労働のつらさや痛み、喜びや達成感、向上心を共有できるからです。そこから連帯が始まるし、それが共に闘う仲間に変わっていくでしょう。このような「同職の絆」から「関生魂」へと成長する道筋を見通して、まずは「同職の絆」の「受け皿」を創る必要があります。

「3.戦後労働運動における『82年問題』」

つぎに、武委員長が「座談会」のはじめのところで強調した1982年の共産党による関西支部への分裂・脱退攻撃についてお話しします。ここでは共産党の攻撃の意味をもう少し広く、戦後労働運動の歴史の中に位置づけたいと思います。一般労働組合の形成運動が1970年代から1980年代にかけてありました。これは合同労組運動の次にくる未組織労働者の組織化の波です。この一般労働組合形成運動と共産党の攻撃との関係です。
当時、関生支部の運動は、関東だけでなく、運輸一般の業種別部会を通じて全国化する勢いでした。生コン業界で「産業別労働運動が出現する前夜」と感じさせるほどです。一般組合形成運動は運輸一般だけでなく、当時、中西五洲さんが委員長だった全日自労建設一般でも取り組まれていました。業種別部会の方式で組織していました。ダンプ部会は労働者6200人を組織していました。そのダンプ部会のリーダーの一人が、「東京の会」事務局長の吉本伸幸さんだったと聞いて、私はビックリ仰天しました。
そのほかにも、建設関連技術者が1500人、ビルメンテナンスが900人、学童保育の指導員が700人、こういうように組織していったのです(1989年)。建設一般も立派に業種別組織を創っていたのです。
イギリスの一般労働組合は、いくつかの業種別の一般組合が合同していく過程を経て形成されました。古くは運輸一般と都市一般という大きな二大ゼネラルユニオンにまとまり、そして、この二つも合流していきます。それを考えると規模は小さいのですが、関生支部や中西五洲さんの建設一般が合同していたら、中小零細企業労働者の組織化の大きなポールを日本の労働運動に打ち立てることができたかもしれません。夢物語かもしれませんが、希望のある見通しでした。共産党の関生支部に対する分裂攻撃はこの夢を打ち砕いたことです。当時、一般組合の形成運動を若手研究者として末席から関わっていた私としては痛恨の極みでした。
さて、労働者の組織化問題を一般論ではなく、この時期の労働運動の状況から捉えるとさらに大きな意味があります。詳しくは話せませんが、1960年まで続いた民間大企業の争議は、1960年の三池争議で終息します。以後、民間大企業の争議はありません。その後は民間大企業の労働組合が、ことごとく労使協調の潮流に制圧されていきます。それがほぼ完了するが1975年です。1975年は「戦後労働運動の大転換」なのです。そこから労働運動は後退局面に入ります。
その状況判断のもとで、後退戦の布陣を組み、反転攻勢を準備することが重要だったのです。私は1985年に「未組織労働者の組織化が戦略的課題」という論文を書きました。そこで、民間大企業に少数派労働運動として足場を残しつつ、民間の中小零細企業と官公労部門が連携して、圧倒的な未組織労働者を組織していく。このことによって、当時の全民労協系大企業労組を包囲していくことができる。こんなことを考えていました。
その鍵を握るのが一般組合方式による労働者の組織化でした。1982年の共産党の分裂・脱退攻撃は、一般組合の衰退のみならず、戦後労働組合の反転攻勢のとっかかりも潰してしまったのです。反転攻勢の機を失ってしまったことに1982年問題の核心があることを強調しておきたいと思います。以後、1989年、連合・全労連・全労協の結成はありましたが、これらが労働運動再生の何の役にも立たなかったことは明らかです。

No.4につづく。

※「月刊労働運動2021年2月号」の記事。発行責任者・編集者から許可を得て掲載しています。

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「関生事件」が揺るがす労働基本権
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なぜ、いま戦後最大規模の刑事弾圧が労働組合に加えられているのか!?
641日勾留された武委員長が語る

「関西生コン事件」で逮捕された武建一委員長は今年5月29日、641日ぶりに保釈された。その1ヵ月後に収録されたロングインタビューをまとめた本が昨年12月10日発刊された。
・一連の事件は、なぜ起きたのか?
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そんな疑問に事実をもって答える1冊。ぜひ、お読みください。『武建一が語る 大資本はなぜ私たちを恐れるのか
発行・旬報社、四六判218ページ、定価1500円+税
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お問い合わせ03-5820-0868
【目 次】
第1章 刑事弾圧
641日にもおよんだ勾留生活/なぜ私は逮捕されたのか/協同組合の変質/労組破壊に参加したレイシスト
第2章 「タコ部屋」の過酷労働
私の生い立ち/「練り屋」と呼ばれて/労働運動に目覚める/関生支部の誕生/初めての解雇
第3章 闘いの軌跡
万博不況とオイルショック/ヤクザと生コン/経済界が恐れる産業別労働運動
第4章 大同団結
安値乱売で「がけっぷち」/大阪広域協組の誕生/シャブコン/2005年の弾圧事件/ゼネスト決行/目指すべき場所
解題・安田浩一(ジャーナリスト)
皆様には御元気で御活躍のことと存じます。
この間、全国の多くの皆様より私たち関生支部に対する国家権力と大阪広域生コンクリート協同組合、差別排外主義者集団が一体となった攻撃をはね返す闘いに、多大な御支援をいただきまして誠にありがとうございます。
このたび、著書『大資本はなぜ私たちを恐れるのか』を昨年12月10日に発行する運びとなりました。
今日まで、私は、会社の雇ったヤクザに5回以上殺されかけたり、刑事事件をでっち上げられ前科5犯にさせられています。
1980年代には日経連の大槻文平会長(当時)から「関生型運動は資本主義の根幹に触れる」と言われ、国家権力とマスコミからは「生コンのドン」「金を企業からむしり取る」などとして「反社会的勢力」とレッテルを貼られています。
それはなぜか。歴史と今日を振り返り、事実を元に書かせていただいています。
是非、一読下さい。
心より愛をこめて
武 建一

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