2015年5月19日、関生支部などセメント生コン関連の在阪6労組が「関西生コン関連労働組合連合会」(労組連合会)を結成。それは業界の再建と大同団結の象徴だった。
建交労関西支部と交通労連生コン産業労働組合は、業界側からの環境整備基金の拠出停止で敵前逃亡し、共闘の原則を踏みにじって労組連合会を離脱。恥じらいもなく今までの行動について謝罪し、地神副理事長など大阪広域協組4人組へす寄って関生支部批判の下請けとなる。
在特会関係の瀬戸弘幸など差別排外主義のレイシスト集団と一体となった大阪広域協組の下僕へと成り下がったのである。
2005年、建交労関西支部が経営側へのすり寄った際、賃上げゼロとなり生コン価格も下落、その一方でセメント価格が3度値上がりするなど業界秩序と労働条件を破壊したのである。
関西生コン関連労組連合会の結成で業界の再建と大同団結に弾みがついた
2014年12月、大阪府下にある多くの生コン工場が倒産の危機から救うという要請を受け、関生支部は、大阪広域生コンクリート協同組合(大阪広域協組)と阪神地区生コン協同組合、大阪レディーミクストコンクリート協同組合、協同組合未加入のアウト業者を大阪広域協組へ大同団結させる方向へと舵を切りました。そのため大阪広域協組は、過去から約束しては不履行にしていた労働者の雇用・福祉政策のための基金(環境整備基金)の拠出を約束したのです。
関西の生コン業界で大同団結の機運が高まるなか、環境整備基金の拠出などを聞きつけた建交労関西支部は、突然、関生支部に対する誹謗中傷をストップし、敵対的姿勢を改め岡元顧問を先頭に執行部が関生支部へ訪問、過去の「利権暴力集団と誹謗する共産党流の関生叩きは間違いだった」と反省の弁を述べて猛省し、共闘関係の再開を申し出てきたのです。それが労組連合会スタートのきっかけだったのです。
関生支部批判をする建交労関西支部、交通労連生コン産業労働組合の姿は、大阪広域協組の下僕となった証。見るに堪えないほどの哀れさである
労組連合会は、2015年5月18日付「労組間共闘に関する確認書」(5・18確認)の締結によって結成され、同確認書の内容に沿って運営されてきました。
5・18確認には、近畿圏のセメント・生コン関連業界の秩序の確立をはかり、労働者の生活と雇用、権利の向上と中小企業の経営安定を期するという要求で団結するとの趣旨が書かれています。目的達成のため各労組の主体性を尊重し、労組間の誹謗中傷は行わない、集団交渉を軸に統一労働条件・制度要求の前進をはかること。一致点がみられない場合は、代表者による協議において一致点を模索し、解決をはかることなど運営の原則なども記されています。
しかし、建交労関西支部、交通労連生コン産業労働組合は、共闘の原則=5・18確認の確認事項(一致点がみられない場合は、代表者による協議において一致点を模索し、解決をはかる)を反故するだけでなく、労組連合会の運営会議の情報を漏洩し、挙げ句の果てには業界側からの環境整備基金が止まったことで敵前逃亡。恥じらいもない謝罪で地神副理事長など大阪広域協組4人組へすり寄り、在特会関係の瀬戸弘幸など差別排外主義のレイシスト集団と一体となった大阪広域協組の下僕へと成り下がったのでした。それが、いま関生支部へ誹謗中傷を大々的に行う建交労関西支部や交通労連生コン産業労働組合などの真の姿なのです。
そこには組合員のための主張や運動などは一切見当たりません。今18春闘においては、賃上げゼロに合意しています。
建交労関西支部と交通労連生コン産業労働組合。過去にも経営側へのすり寄りで業界秩序と労働条件を破壊。近畿生コン関連協議会の結成はその再来である
2005年1月13日、協同組合未加入の(安売り)アウト業者の大阪広域協組への加入促進という業界安定のための関生支部の活動が威力業務妨害などにあたるとして、関生支部へ権力弾圧が加えられたことがあります。その際、建交労関西支部は「連帯の時代は終わった建交労の時代が来た」などと声高らかに業界側にすり寄り、それまで労使協定で確立していた週休二日制を破壊し、ミキサー運転手に極度の負担をかける過剰サービスの実施を奨励するなど業界秩序を破壊する手先となっていました。その時期、賃上げゼロが2年間続き、その一方で生コン価格は下落を続け、原材料のセメント価格が一方的に引き上がりました。そのことによって関西の生コン業界全体に労働者の非正規(日雇)化や運送部門の下請(傭車)化など雇用条件の悪化が拡大していったのです。その際、建交労関西支部や交通労連生コン産業労働組合などは組合員を大幅に減らしたのでした。