吉田生コン闘争「吉田修組合員の手記」
2019年4月、吉田生コン社長が私に退職を勧奨してきた。
振り返れば、この吉田生コン社長の攻撃は、2017年12月のセメント輸送・生コン輸送の運賃引き上げを求めたストライキから始まったような気がする。
関生つぶしを叫ぶ大阪広域生コン協組と結託したネット右翼らが、SNSを使った関生支部への攻撃が始まった。そして、大阪広域生コン協組の関生つぶしと連携した警察・検察の関生支部への不当弾圧も始まった。
この権力弾圧では、支部役員をはじめ多くの仲間が不当にも逮捕されるなど激動の時期であったと思う。
「吉田生コン社の解雇攻撃」
その最中、私の職場でも吉田生コン社長が関生支部に対する弾圧に便乗するように、当時6名だった組合員のうち、3月に不当逮捕された組合員に対して退職を勧奨してきた。退職勧奨された組合員は、かなりショックを受けていたが結局、退職に応じてしまった。
これに成果を得た吉田社長は、組合員を1名づつ呼び出して、無茶な理由をこじつけて退職勧奨を進めた。犬をミキサー車に乗せたという、笑うしかないような理由もあった。結局、関生支部の組合員であることが解雇の理由なのだ。
そして、私にも呼び出しがあり、「いよいよきたな」との思った。いったいどんな解雇理由を吉田社長が言い出すのか?少し楽しみもあったことは忘れもしない。「顔が気に入らないくらいの理由かな」とも思いながら事務所に出向くと、なんと組合業務欠勤が無断欠勤だと言い出した。さすがにびっくりした。
「吉田社長、あんた組合業務欠勤中も、不利益な取り扱いをしなかったやんけ」と思いながら笑いを堪えた。
私は吉田社長に、「後日、組合の役員と返答をしにくる」と伝えて引き上げた。
後日、役員を伴い「退職しない」と返答したら、吉田社長が用意していた「懲戒解雇」の文書に日付を入れて、私に手渡した。「最初からそないせぇよ」と真剣に思った。
私と組合役員は、吉田社長に「不当な懲戒解雇を認めない」などと厳しく抗議した。
「警察権力とつながっている?」
会社を出て5分ほどすると、私の携帯に京都府警から着信が。用件は刑事事件の任意出頭についてだった。タイミングを計ったかのような京都府警からの電話に、「会社と警察は繋がってるな」と確信した。
いままで40年以上、組合活動をしてきたなか、解雇撤回闘争など他の仲間の支援行動に行ったことはあるが、まさか自分が当事者になろうとは夢にも思ってなかった。
「つれ合いの言葉」
解雇当日、妻に吉田生コンを解雇されたことを伝え今後のことを真剣に話をした。やはり一番の心配は今後の生活の問題である。我が家は子どもも独立してくれていて夫婦2人だけなので「年金がもらえるまであと5年ほど二人で頑張ればなんとかなるか」など話をしてたなか、いま思い出しても涙が出てくる妻の一声、「 わたしは別にどこでもいいから家を売ってあんたの好きな串本に2人で行って私もパートで頑張ったらなんとかなるで 」と、ほんとにこの言葉には参った。妻は芝居や映画が好きで月に2~3度芝居を観に行っているが、串本のようなな地方に行ったらそんなことはできないのがわかっていながら、私のことを思いやってくれた言葉に本当にやられた。
その時、2人で出した答えは、会社は潔く退職し、関生支部も脱退し、自宅を売却して本州最南端の串本でゆっくり過ごすと決めた。脱退届け退職届けを書き準備は出来たつもりでいた…
「担当常任からの力強い言葉で、闘う覚悟ができた」
寝るために二階に上がり1人になると涙が出てきた。本当にこれが最善の選択なのか?間違いはないのか?後悔はしないのか?imamade今までの40年の組合活動はなんだったんだ?などと葛藤した。
色々頭の中を思いが駆け巡り寝れない。もう一度話しようと思い下に降り妻を起こしたら妻の目が真っ赤になっていた。やはり妻もかなり迷ってると感じだ。その日は話をすることはできずに、朝がくるのを待って、担当常任に電話をして会う約束をした。 担当常任からは、吉田社と闘う方針が具体的に示されるなど、力強い言葉をもらったことから、夫婦2人で最後まで闘う覚悟ができた。
「不当逮捕と長期勾留」
闘う覚悟を決めてからは、吉田生コン社に対して解雇撤回の行動などを日々、取り組んできた。その取り組みに参加している最中、6月19日、早朝7時過ぎに妻から電話があり「警察が来ているすぐに帰れ」との連絡があった。そして、自宅に戻りお泊まりセットを持参して木津川警察署に出頭したところ、不当逮捕をされた。
逮捕容疑は加茂生コンに対する強要未遂容疑であった。お泊まりセットを持参した段階で逮捕は覚悟していたが、本当に逮捕されるとは思いもよらなかった。当初は起訴されずに長くて22日くらいで出る予定だったが、予定をはるかに越えた約140日近く勾留されてしまった。
「あんたここで逃げたら一生悔やむやろ!」
勾留期間中も色々考えてしまい、留守にしている自宅や将来に対する不安などを考えた。時間がたっぷりある環境のなかで、物事をプラスに考えられることは無かった。当然、私も自暴自棄に陥り、自分1人で考えた結果は「もう争う事を放棄し、やってはないが取り敢えず罪を認めてとにかく外に出たい」と弁護士に訴えた。すべてが嫌になってしまっていたのだ。
そんなとき、妻が面会に来てくれた。妻は、いつもと違う雰囲気で、なんか怒っており、「あんたええ加減にしぃや!自分1人闘ってしんどいん違うで、私もしんどいけど頑張ってるんやで!あんたここで逃げたら一生悔やむやろ!」と一言。またまた妻にやられた。
「一番の力になってくれたのは家族であり、妻である」
あの妻の一言がなかったら無罪判決も勝ち取れなかったし、今の私はなかったはずだ。
今回の件で、私が一番感じたのは、「私は関生支部の組合員だから解雇され、逮捕された。だが組合員だから闘う環境が整っていた」ということだ。
メンタル面では、多くの仲間に助けられ、多くの支援者に支えられて、やり抜くことができたことに感謝している。
だが一番の力になってくれたのは家族であり、やはり妻であることは間違いない。今回の弾圧や解雇は、私だけではなく一緒に暮らす家族も当事者になる。家族の支えがなければ、労働運動もできないし、闘えないと強く感じさせられた。
「吉田社長に謝罪させるまで、本気で闘う!」
この闘いの最後には、吉田生コン・吉田社長に全組合員、支援者のみなさん、家族の前で謝罪させるまで、本気で闘うので引き続きの支援をお願いする。
最後に、「やはり人間は、1人では何なにもできないし、1人では生きていけないと今回は本当に強く感じた」。
映画 ここから 「関西生コン事件」と私たち
この映画は「フツーの仕事がしたい」「アリ地獄天国」など労働問題を取り上げ注目を浴びている土屋トカチ監督の最新作。「関西生コン事件」の渦中にある組合員たちの姿を描いた待望のドキュメンタリー映画『ここから「関西生コン事件」と私たち』がこのほど完成。10月下旬から各地で上映運動がはじまった。10 月 23日には「関西生コン労組つぶしの弾圧を許さな い東海の会」が名古屋で、11月6日には「労働組合つぶしの大弾圧を許さない京滋実行委員会」京都で上映会。業界・警察・検察が一体となった空前の労働組合つぶしに直面した組合員と家族の物語を見つめた。(写真右は京都上映会 で挨拶する松尾聖子さん) 今後、11月13 日には護憲大会(愛媛県松山市)、同月25日は「労働組合つぶしを許さない兵庫の会」が第3回総会で、12月16日は「関西生コンを支援する会」が東京で、それぞれ上映会をひらく。
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賃金破壊――労働運動を「犯罪」にする国 竹信三恵子(著)– 2021/11/1 旬報社 1,650円(税込み) 1997年以降、賃金が下がり続けている先進国は日本だけ。 そんななか、連帯ユニオン関西地区生コン支部は、賃上げも、残業規制も、シングルマザーの経済的自立という「女性活躍」も実現した。 業界の組合つぶし、そこへヘイト集団も加わり、そして警察が弾圧に乗り出した。 なぜいま、憲法や労働組合法を無視した組合つぶしが行なわれているのか。 迫真のルポでその真実を明らかにする。
目次 :
プロローグ
第1章 「賃金が上がらない国」の底で
第2章 労働運動が「犯罪」になった日
第3章 ヘイトの次に警察が来た
第4章 労働分野の解釈改憲
第5章 経営側は何を恐れたのか
第6章 影の主役としてのメディア
第7章 労働者が国を訴えた日
エピローグ
【著者紹介】 竹信三恵子 : ジャーナリスト・和光大学名誉教授。東京生まれ。1976年東京大学文学部社会学科卒、朝日新聞社入社、経済部、シンガポール特派員、学芸部次長、編集委員兼論説委員(労働担当)、2011-2019年和光大学現代人間学部教授。著書に『ルポ雇用劣化不況』(岩波新書、日本労働ペンクラブ賞)など。貧困や雇用劣化、非正規労働者問題についての先駆的な報道活動に対し、2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
第 10 回「日隅一雄・情報流通促進賞」の特別賞を受賞 詳しくはコチラ
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