3月中旬、ある元暴力団員が亡くなった。死んだ元暴力団員は湯浅生コン社・柳瀨岩生社長や和歌山広域協組・丸山克也理事長と深い関係にあった模様。暴力団関係者、在特関連差別排外主義者とのトライアングルの真相とはいったい何か
柳瀨岩生社長は、在特関連の差別・排外主義者とも関係を深め瀬戸弘幸とともに行動していた。瀬戸弘幸に社内への出入りを認め、関係者2名を雇い入れていた
湯浅生コン社の柳瀨岩生社長は、元暴力団員との関係だけでなく在特会関連の差別・排外主義者集団とも深い関係になっています。人種差別を扇動しヘイトデモを主催する極端な差別・排外主義者の瀬戸弘幸とも懇意となり、本年2月初めには瀬戸弘幸の関係者2名を警備員として雇い入れました。
瀬戸弘幸は、自身のブログ「せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』」掲載の動画で、関生支部を遠ざけて組合員への支援ができなくするため湯浅生コンの周辺道路の道路使用許可をとった旨を公言し、柳瀨岩生社長から湯浅生コン社へ自由に出入りすることができる許可を受け、連帯の組合員に脱退するよう働きかけるなどと宣言。「組合員も連帯を辞めるか、辞めなければ会社に居づらくなるという状況になる」と述べています。
柳瀨岩生社長は、在特会関連の差別排外主義者とエム・ケイ運輸闘争でも行動をともにする
本年2月初旬、柳瀨岩生社長は、何故か自身とは無関係と思われる連帯ユニオン近畿地区トラック支部(近トラ支部)と有限会社エム・ケイ運輸(奈良県大和郡山市。以下「エム・ケイ運輸」)との労働争議の現場にも在特会関連の差別排外主義者と現れています。
エム・ケイ運輸の労働争議は、運送事業関係法や労働関係法などに違反する会社の姿勢を是正するため立ち上がった従業員複数名が、近トラ支部へ加入したことがきっかけで発生しました。エム・ケイ運輸は、組合結成当初から組合嫌悪の姿勢をとっています。2年前頃には、組合の分会長が暴力団員を自称する会社関係者から脅迫されるという事件が発生しました。約1年前には、会社内で組合の分会長が複数名の暴漢に襲われるという刑事事件が発生しています。この事件には、不可解な点があります。事件発生の一ヶ月前頃、被害者の分会長のトラックをとめる位置が、突然、防犯カメラから写りにくい場所へと変更され、事件発生時には監視カメラの向きが全く違う方向へと変えられていたのです。さらに、被害者の分会長がトラックで帰社する時間については、経営陣でもごく一部の者しか把握していなかったなど会社の事件への関わりについて疑義を持たざるを得ない点が数多くあり、経営者一族の事件への関与の疑念が拭いきれない状況となています。
エム・ケイ運輸闘争の現場には、度々、瀬戸弘幸や同人を師と仰ぐ渡邊臥龍こと渡邊昇、柳瀨岩生社長が雇用した瀬戸弘幸の関係者の有門大輔他一名など多数の差別排外主義者が街宣車などで訪れ、その都度近トラ支部の闘争を妨害していました。柳瀨岩生社長は、エム・ケイ運輸の闘争現場でも在特会関連の差別排外主義者らと行動をともにしていたのです。
柳瀨岩生社長が雇用していた元暴力団員が亡くなった。和歌山広域協組の丸山克也理事とも関係を結び、関係解消した後に亡くなった模様
本年3月中旬頃、湯浅生コン社に雇われていた元暴力団員の亡くなりました。
亡くなった元暴力団員は、湯浅生コン社を退職した後、和歌山広域協組の丸山克也理事長と関係を結びます。関生支部の組合役員が、湯浅生コン社の安売り・越境販売を問題提起した際には、和歌山広域協組の丸山克也理事長と一緒になって暴言を浴びせかけ、かつ切断した左手の小指をみせるなど恫喝行為を行いました。丸山克也理事長と昵懇の仲で、平素は和歌山広域協組に陣取っていたといわれています。ところが丸山克也理事長が在特会関連の差別排外主義者、瀬戸弘幸らと懇意になった途端、関係が解消され、亡くなる前にはダンプトラックの運転手をしていたといわれています。
この元暴力団員の死には多くの謎が残されています。湯浅生コン社の柳瀨岩生社長や和歌山広域協組の丸山克也理事長などの関わり方がどうであったのか疑義が残るといわざるを得ません。私たち関生支部の闘いは、元暴力団関係者や在特会関連の差別排外主義者集団、丸山克也理事長や大阪広域協組の4人組など業界関係者のトライアングルにメスを入れるものでもあります。
私たちは、いかなる妨害や困難があろうとも生コン業界の改革・正常化する試みを断行していく決意を固めています。