関生支部の闘いとユニオン運動・第11回 「戦後労働運動における『82年問題』-共産党による関生分裂攻撃の意味」

木下武男(労働社会学者・元昭和女子大学教授)

…第10回からのつづき

「戦後労働運動における1975年の『暗転』」

1982年の共産党の分裂・脱退攻撃を、今回は、戦後労働運動のなかで位置づけることにします。右図は「半日以上の争議における労働損失日数」のグラフです。1975年に注目しなければなりません。1975年の決定的な転換局面で、労働組合運動の舞台を暗転させた力は何だったのか、この理解が戦後労働運動を見る上でとても重要です。
それ以前に労働側の危機があったのです。それは、民間大企業の労働者の企業主義的統合がなされ、それを土台にして労働組合が労使癒着の組合に転換していったということです。つまり、1960年代からつくりあげた企業主義的統合の仕組みが威力を発揮した。そう見るべきだと思います。1975年までのところで主体の側の危機が深層で醸成されていたのです。
ところが、そう捉えない潮流がありました。それが共産党です。情勢の把握を「戦後第2の反動攻勢」と想定しました。現在を戦後占領期の後半の「第1期に匹敵する大規模で系統的な反動攻勢」と見なしました。そして最大の問題は「これに対し、社会党・総評を含め革新を名乗ってきた勢力のなかで、反動攻勢に協力、追随、あるいは闘争を放棄する傾向は明らかである」と評価したことです(『労働年鑑』第52集)。
1975年以降、状況が変化したことは確かですが、そのためには統一戦線戦術を新しく練り直すことが求められていたのです。それを「統一」ではなく、「反動攻勢」に「協力、追随」し、闘争を放棄する勢力に打撃を与える。そして自らの勢力の「分離・純化」路線をとったのです。

「『分離・純化』路線」

当時の共産党は、ヨーロッパ共産党の民主集中制の放棄に反対して、民主集中制を擁護する論陣をはりました。このように、共産党の運動分野における「分離・純化」路線と、党内の規律・統制とがあいまって、1970年代後半から1985年まで共産党内外で大きな混乱が生じました。
1970年代後半、民主集中制をめぐって研究者の除名・離党問題が起こり、1980年代に入ると『民主文学』誌での小田実の文書掲載をめぐって多くの文学者が離党します。1984年には原水爆禁止運動なかでは原水禁との統一行動をめぐって原水協の幹部が除名、それに関連して著名な学者たちも離党します。私は、この「分離・純化」路線による運動団体の混乱と、多くの研究者と運動家が共産党から離れていく状況を、感慨をもって見ていました。
さて、労働運動分野でこそ「分離・純化」路線は顕著でした。「第2の反転攻勢論」とともに出てきたのが「総評右転落」論でした。労働戦線統一が労使癒着の労組幹部で進められるなかで「統一」の観点からの慎重な対抗が求められていました。ところが、共産党は「渡りに船」とばかりに1980年代初頭、早々と「階級的民主的ナショナル・センターの独自結成」の方針を打ち出したのです。
私事になりますが、私は当時、連載のはじめに紹介した中林賢二郎先生から執筆の要請を受けました。講座『日本の労働組合運動5』の一論文です。その打合せで先生の研究室に呼ばれました。1983年か1984年のことだと思います。研究室に後からこられた先生は、開口一番、「君、あれは左翼分裂主義だよ」と言われました。私は一瞬とまどっていましたが、それが共産党の「ナショナル・センターの独自結成」のことだとわかりました。それをめぐっては研究者・運動家の間でかなり激論があったようで、先生も興奮されていました。その先生も1986年に亡くなり、1989年に総評の再建の方向ではなく、共産党の願っていたように全労連の独自結成がなされました。
関生支部に対する共産党の「分裂・脱退」攻撃は、この「分離・純化」路線の一環として、そして共産党系列の独自組織の結成の動きの最中に生じたのです。

「後退局面における『反転攻勢』戦略」

私が執筆を要請された論文は「未組織労働者の組織化は戦略的課題」(1985年)でした。それは、労働運動の後退局面でどのように反転攻勢の戦略を探るのかという問題意識のものです。次の図式を考えました。〔〈民間中小企業労組+官公労部門労組〉→未組織労働者〕+〔大企業内少数派労働者〕vs〔全民労協系大企業労組〕
中小企業労組が官公部門労組と連携しながら、膨大な労働者を組織化する。そのことで民間大企業労組を包囲するとの戦略です。この論文の最後を、「企業主義的競争社会に打ち込まれたこの連帯の結合体とその増殖は、必ずやこの企業社会を破砕する力になるであろう」と結びました。
1982年に関生支部を攻撃した共産党には後退戦の意識など皆無でした。というよりも、「82年問題」は戦後労働運動に大きな打撃を与えたのです。①関生型産業別組合の発展の芽をつぶし、②企業別労働組合主義を労働運動に押しつけ、③一般組合方式による労働者の組織化を阻み、④したがって反転攻勢の契機を逃したこと、これらを引き起こしたのです。
だがやはり、関生支部は不滅でした。そして、日本の労働運動は関生支部に学びながら、「82年問題」を克服することによってのみ、再生することが可能です。残された力を集め、関生型の業種別ユニオンで労働者の組織化に全力を尽くすことです。そして潰え去った一般労働組合の形成運動を再興させ、それをもって反転攻勢のきっかけとすることです。

※「月刊労働運動3月号」に掲載された記事を、発行責任者・編集責任者の許可を得て掲載しています。

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第3章 闘いの軌跡
万博不況とオイルショック/ヤクザと生コン/経済界が恐れる産業別労働運動
第4章 大同団結
安値乱売で「がけっぷち」/大阪広域協組の誕生/シャブコン/2005年の弾圧事件/ゼネスト決行/目指すべき場所
解題・安田浩一(ジャーナリスト)
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それはなぜか。歴史と今日を振り返り、事実を元に書かせていただいています。
是非、一読下さい。
心より愛をこめて
武 建一

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